乳がんだけどSmile☆

2013年2月次男妊娠中(長男2歳2ヶ月)、癌の疑い。 3月乳がんステージ3Aトリプルポジティブ告知、治療の為帝王切開。              現在、抗がん剤治療中。

2023年まで!ノルバデックス服用開始

明日からホルモン療法始まります。
はぁ…10年続けるのかぁ。
長い、長すぎるけど
治療できることに感謝しなくちゃ。

まだ放射線治療や再建のことなど たくさん乗り越えることはあるけど
抗がん剤と手術 この大きな2つの山は乗り越えられたよ。

妊娠中 ひとりで受けたガン告知
10センチの腫瘍…転移があるかも検査できず即帝王切開
出産してそのまま入院中受けた数々の検査
2クールやったFECが効かない
担当医とこれ以上やっていけないと変更
薬の効果はあっても やっぱり全摘

ひとつひとつ悩んで 号泣して
私だけじゃなく大切な人たち悲しませて
でも 2人の子どもと一緒に生きたいから
がんばれたよ。
ママ、おっぱいひとつなくなっちゃったけど 生きていくため仕方なかったの。

明日 退院して家に帰れます(*^▽^*)


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リンパ節郭清後 注意点

右乳房全摘した私ですが
リンパ節郭清が意外に今後の生活を不便にするなぁと思いました。

1.リンパ浮腫に注意
 一旦発症すると完治しにくい。
 リンパ節郭清したら浮腫にならないよう一生注意すること。(一生って大変じゃん!!)
 リンパ節郭清した人の3割がなり、1割が重症。

 スキンケア(ゴム手袋、クリームでの保湿)
 細菌感染に注意 虫さされや目に見えない傷がきっかけで浮腫を発症することもある。
 圧迫に注意 血圧測定・採血・点滴・荷物を肘に掛ける・リュックや抱っこ紐など肩への圧迫

2.蜂カ織炎
 赤く腫れる
 細菌感染、ストレス、過労が原因
 虫さされの可能性がある時は 市販の薬を塗り様子をみる。
 即受診し処置すれば治る。
 これをきっかけにリンパ浮腫になってしまう可能性あり。

7ヶ月で10キロの次男は抱っこ紐使えないのかぁ。
小児科行くときとか買い物の時使ってたのになぁ。
っていうか 雨の時 次男と荷物と傘…無理じゃない?


それと、我が家には ソテツ(椰子の木のちっちゃい版みたいな木)が何本か生えてます。
私が年何回か剪定してて。
一回にゴミ10袋とかなっちゃう。
軍手してても 葉が鋭く突き抜けて手に刺さる!という曲者なので この仕事は夫に譲ります(*'▽'*)

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癌摘出手術…お隣さんがママ友って

30日乳房全摘とリンパ節郭清の手術を終えたばかりの私。

そうは言っても 面会のお見送りなど
脱毛した頭に帽子被ってドレーンぶら下げ
個室から出てウロウロしてました。

長男が面会の帰りがけに個室のドア辺りに立っていると
“あー やっぱりこの子見たことあると思ったら!
 私 お腹切ったんだわぁ”って…部屋をのぞき込む方が!!
うーん、長男と同学年のお子さんがいる同じ校区のママさん。
私、角部屋。
彼女、その隣。

私、辛くてまだ友人には誰にも病気のこと言ってない。
でも本当にばれたくないのは
こういうパターン。

息子には まだ私が癌だと言ってません。
まず私自身が癌でも死なないと自信を持って笑顔で子どもに話せる
子どもがそれを受け止め 不必要に他人に話さない
そういうタイミングが来たら 話すつもりです。

親同士が話しているのを聞いて
“○○くんのママ ガンで死んじゃうんだって”
なんてお友達に言われないかな…と。
自分の母親がそんな病気だってこと
そんな言われ方で人から聞いたらショックですよね。

明日、ウィッグ持ってきてもらうようおねがいしました。
バレずに乗りきれるかな? 


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全摘手術を終えて

2013年10月30日 右乳房の全摘手術、リンパ節郭清が終わりました。
普通の人が普通にあるものがない
普通の人が普通にできることができない
というのは辛いことです。

でも 生きていく為には仕方ない。
自分ひとりの人生なら決心出来なかったかも。
子どもたちを育てたい
ずっと一緒にいたい
と思ったから 手術出来たんだと思う。

全摘しなければ 死んでしまう
わかってるけど
そんなことしなくても 何か方法はないか?
今は無理でも1年後には違う治療ができて
あの時乳房を取らなければ…
と思うのではないか?
本当に悩みました。

でも 生きる為の今できる最善の選択として全摘を選びました。
子どもの笑顔 長男の応援が 生きなくちゃという気持ちにさせてくれた。
(次男はまだ0才7ヶ月 話せません)
ありがとう。

胸はいつか再建する!
取り戻す!
胸がなくても子育てはできる。
右手は不自由になっても動くんだからなんとかなる。

術後の回復は順調です。
3月の帝王切開の方が痛かった。

2才の長男は毎朝 毎晩 
ママに会いたいと泣くのに
病院に来ると退屈らしい。
手術前に 帰りたいと言われ ショック!
え?ママ これから手術なのに遊びに行きたいの??
終わるまでもたないかと思いましたが
なんとか待っててくれました。
温度差ありすぎだわぁ(T^T)

担当医 変更 part.2

体調が悪く なかなか後半が書けません。
とりあえず、入院中 何があったのかよりも今まであったM先生の発言を…

3月癌告知後、治療方法を説明していただいた。
その際、脱毛について時間がなく説明を省略するのはいい。
でもね
「医者としては興味ないから」と半笑いで言われた。
医学的なことを説明しなくてはいけないから脱毛については後で看護師さんから説明します、
髪の毛より命の方が大事ですから、
など 他に言い方があると思う。
話を聞いているのは 患者なのだから。


他にも自分中心に話をしていると思われる発言が…
腫瘍の大きさを6センチと聞いていたのだが
ある時10センチと言われた。
どちらか尋ねると
「分類上一緒」って。
で「まぁそんなに神経質にならないで」とのこと。
テストの答えを聞いているんじゃないんです。
癌患者が 自分の腫瘍の大きさを聞いてるんですよ。

相手のこと考えて話せない人なんだなぁと…
乳ガン患者が多く 新薬が次々と開発されている。
それを勉強しながら 患者を治療するのは
本当に大変なことだと思う。
M先生は 新しい薬のことなど取り入れて治療出来ているのに…
すごく残念なことだと思う。

担当医 変更 part.1

担当医を変更してもらいました。

理由は大きく2つ。

ひとつは、カルボプラチン(7/5に初回、7/26に2回目)の

副作用の下痢に対しての処置が不適切と思ったため。

 

7/5にドセタキセルハーセプチンと共に投与したカルボプラチンは

私にとっては副作用が大きく次の投与までの3週間体調が悪い日が続いた。

 

2回目7/26の投与2日後腸が痛くなり4日後の朝7/30下痢と腹痛で

病院に電話し受診することになった。

見てもらいたいと電話しておきながらも

病院に行くのが辛いから「他のものが行っても薬もらえるか?」と聞くぐらい

ものすごく痛かった。

 

本人が来てくださいとのことだったので激痛の中向かった。

受診できたのはちょうど12時ぐらいで

その時点でその日10回下痢(一日で23回)をしていた。

担当医M先生は聴診も触診もせず、問診も下痢の回数だけ。

一回の量や硬さ、色なども尋ねなかった。

そして、注射し下痢止めロペミンを処方。

 

翌31日の夜間痛みに悶える私を家族が見かねて 病院に行くことに。

診察してくれたのは消化器内科のT先生だった。

問診も丁寧で便の量なども確認し 触診

血液検査とレントゲンを撮り 腸炎と診断。

点滴を受け 明日の乳腺外科に予約を入れたので

痛みや下痢があれば受診してくださいとのことだった。

 

8/1乳腺外科を受診したところ、入院となった。

当初8/5に退院予定だったが、退院予定日前日から39.4℃熱が出て

下痢も増えたため8/8まで延期となった。

検便は8/6に提出するよう言われた。

予定通り8/5に退院していたら、検便もしないつもりでしたか・・・

 

検便は結果が出るまで1週間かかるとのこと。

普通なら検便して原因を調べることは不要だと思うが

私は 抗がん剤を投与していてその副作用である可能性が高い。

そして、その抗がん剤はまだ投与予定もあるし

初回より2回目のほうが強烈に強くでている。

1週間かかっても次回の投与の為に入院の時には調べるべきだろうと思う。

 

とにかくものすごく痛かった。

あんなに痛い思いをするのは もう嫌だ。

でも、

例えば5年後再発しまた抗がん剤の治療を受けることになり

死ぬとなったら・・・

カルボプラチンを 最後までやり切らなかったことを後悔するだろう。

私の一番やらなくてはいけないことは 

生きること 治すこと 家族と幸せになること。

だから カルボプラチンは辛くても次もやる。

 

M先生には 次回あの苦しい思いを少しでもしないように

今回全力で原因を追求してほしかった。

 

(ちなみに 「カルボプラチンに下痢の副作用はないんだけどね」っていうのを

 初回に受診した30日にも入院中にも何度も何度も聞いたのだが

 先生は言っていないと言い張る。

 触診をしなかったのは怠慢だったと 認めた。)

 

でもね、私だってこれだけならM先生の担当を変えてくださいとは

言わない。

今までの治療は感謝しているし

患者から信用されてると思っていたのにされていなかったと知ったら傷つくだろうし

先生の病院内の立場、プライドも壊される。

それなのに

変えて欲しいと言ったのは 

癌という深刻な長く戦わなくてはいけない病気のパートナーとして

先生ではダメだと思ったからだと思う。

それが変更理由の二つ目。

 

何があったのか 次回に書きます。

 

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MRIの結果と抗ガン剤投与

2クールのドセタキセルハーセプチン投与後
MRIを撮った。

昨日ドセタキセルハーセプチン3クール目の投与の際、その結果を教えてもらった。
実は最初2クール投与したFECが効いておらず
3クール目は中止。
あんなにいろんなこと犠牲にして
周りに迷惑かけて
効きませんでしたって・・・
トリポジだから→FECやってTHで術後は~
とかではなく 確実にその人、その癌に効くとわかってから
その薬を使うようになれたら
癌患者はどれだけ助かるか。

将来そういう治療が一般的にできていてほしい。


さて今回の結果



   

効いてました♪

とてもうれしい。
後半の分まで効いてなかったら
全身に潜んでいるかもしれない微小遠隔転移は消えない
つまり再発の可能性が高まる、
再発しても効果的な薬が今のところないってなってしまうよね?
それを考えると結果を聞くまで 怖かった。

よかった。
癌、小さくなってて。
私の癌に効く薬があってよかった。

効いているとわかってよかった。
私の人生 まだ終わってないよね。


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